桂光春

明治〜昭和期の彫金家

生 明治4年9月3日(1871年)
没 昭和37(1962)年8月31日
明治15年から彫金家豊川光長のもとでに彫金を学び、27年明治天皇銀婚式に東京市から献上の御物を師の光長と共に制作した
万博にも数多く出品し、死後尚、国内外での評価を高めている

海野美盛

彫金家・日本画家 東京生
水戸派の彫金家盛寿の子 号は浅庵
幼少より家業を父に習い、絵画を酒井道一・河鍋暁斎・今尾景年に就いて学ぶ
鋳金を土台とした丸彫の人物・動物を得意とした 大正8年(1919)歿、56才。

月山貞一

大阪府生まれの日本の日本刀名匠。本名は月山清。
鎌倉時代から続く刀工一族の後裔で800年の歴史を誇る月山派の伝統を受け継ぐ。
大阪月山家の5代目として綾杉鍛え(あやすぎきたえ)や月山彫を継承。
1982年 無鑑査(刀鍛冶の最高位)認定。1995年 全日本刀匠会会長就任(現 顧問)。2003年 奈良県指定無形文化財保持者に認定。

1946年 人間国宝 月山貞一の三男として大阪に生まれる
1969年 大阪工業大学建築学科卒業
1975年 高松宮賞受賞記念、刀匠月山貞利展(大阪にて)開催
1979年 刀匠月山貞利展(大阪にて)開催
1982年 新作刀展で名槍日本号模索出品し無鑑査に認定 ボストン美術館での「日本の人間国宝展」で師に同行
1983年 刀匠月山貞利展(大阪にて)開催
1984年 月山一門展開催(大阪にて) 第61回伊勢神宮式年遷宮御料太刀7振(師との合作含)鉾3振謹作。
1988年 大阪市立博物館「出羽三山と月山刀匠展」出品 ボストン美術館に於いて「月山歴代とその伝統展」開催
1989年 奈良県立文化会館「八百年の伝統月山歴代展」開催。
1990年 刀匠月山貞一・貞利展(東京日本橋髙島屋)開催
1993年 刀匠月山貞利展(東京日本橋髙島屋)開催
1994年 刀匠月山貞一・一門展(大阪にて)開催
1995年 奈良県桜井市芽原に月山記念館開設 全日本刀匠理事長就任
1997年 奈良県桜井市無形文化財保持者指定 刀匠月山貞利展(東京日本橋髙島屋)開催
2001年 刀匠月山貞利展(日本橋髙島屋)開催
2003年 模国宝春日若宮社御料太刀謹作 奈良県指定無形文化財保持者認定 奈良新聞文化賞受賞

和田美之助

和田美之助 12代(わだ みのすけ、1941年(昭和16)~(現在))
京都市出身

江戸時代から続く釣鐘鋳造師で、10代美之助より茶釜制作を行う。
和田家に生まれ、12代美之助を襲名、歴代の鋳造技術を踏まえながらも
現代造形を取り入れた作品を制作して、各百貨店、ギャラリー他の個展を中心に作品を発表。
炉釜・風炉釜・風炉・花入・燗鍋・火箸・釜かん・五徳など斬新な作品を制作。

印名は「松庵」など

山田樂全

山田樂全(やまだ らくぜん、1915年(大正4)~)
京都市出身。

父は、漆芸家初代山田楽全。父に師事して、1950年に2代楽全を襲名。
以来、初代の乾漆技法の追及に専念、金銀蒔絵や色漆を用いた雅味とあたたかみのある道具つくりを基本に茶道具を中心に製作する。

作品は、日本橋三越、京都・大阪高島屋など各地の有名百貨店の個展にて発表する。
現在は3代目楽全が活躍中。

印名は「樂全」「樂」など

秦蔵六

秦蔵六(はた ぞうろく、6代、1952年(昭和27)~(現在))
京都府出身。五代の子。師は五代蔵六。

初代蔵六が、山城(京都南部)から今日に上がり当時鉄瓶製作の大家であった龍文堂(二代)に
鋳金技術を学びさらに中国(漢・周)の銅器を独自に研究し独立。
孝明天皇の御印、将軍徳川慶喜の黄金印をてがけ明治期には宮内省の命により
明治天皇御璽・大日本国璽(印鑑)を製作し名声を得た。
以降各代研究、模索を続け現代に号・蔵六と鋳金技術を一子相伝で伝えている。
蔵六銅器の特徴は中国の青銅器写しであるが、ところどころに金箔を張った作品が多く見られ、
それは時代経過と共に金箔がはがれている様を表している蔵六独特の意匠であり高く評価されている。

増田三男

増田三男(ますだ みつお、1909 (明治42)~ 2009(平成21))
埼玉県出身。東京美術学校金工科彫金部卒 同校研究科終了。

大学中の1933年に第14回帝展にて初入選。以降も出品・受賞を続ける。
富本憲吉の指導を受けながら作品を制作。

戦後は1948年より富本の主宰する新匠美術工芸会に出品。日展、日本伝統工芸会にも出品を重ね、
62年日本伝統工芸展東京都教育委員会賞、69年同展にて朝日新聞社賞などを受賞、
91年に彫金技術にて国指定重要無形文化財(人間国宝)の認定を受ける。

銀、銅、黄銅、鉄などの一枚板を打ち出しして更に細やかな蹴彫りや象嵌細工を得意としその意匠には
動物、植物、風景などを用いて日本の季節感を表したものが多い。
作品は花瓶、小箱、燭台、水差、水指、皿など。

落款名は「増」など

畠春斎

二代目 畠春斎(はた しゅんさい、1944年(昭和19)~2007年)

父初代畠春斎の下茶の湯釜を制作し1971年に日本伝統工芸展初入選。
以降現在まで同展を中心に出品し入選27回を数え、73年日本伝統工芸展奨励賞、
78年日本伝統工芸展日本工芸会長賞を受賞。
父の歿に伴い82年に2代春斎を襲名。

他、79年に日本金工展文化庁長官賞、92年に伝統工芸保持者選賞など。

当初は無地紋や霰(あられ)紋といった伝統の茶の湯釜を製作していたが
次第に独自に造形力を発揮。
現代感覚にあった斬新な作品を残し特に線状紋の研究には余念がなかった。

印名は「春斎」 「貮代春斎」 「畠重男印」 など

蓮田修吾郎

蓮田修吾郎(はすだ しゅうごろう、1915年(大正4)~ 2010年)
石川県出身。東京美術学校工芸科鋳金部卒

東京美術学校にて高村豊周に学ぶ。
戦時中は出兵となり主だった展覧会出品などは戦後からとなり1949年代5回日展にて初入選。
以降日展を中心に出品。
1951年特選・白寿賞、53年北斗賞、59年の文部大臣賞の受賞を経て62年に日本芸術院賞に選出。
在学中より従来の鋳物的な工芸ではなく新しい金属造形を模索し独自の浮彫り技術を確立。
作品は工芸品の枠を出た空間芸術にも創作意欲を出しその発表の場として78年に金属造型作家展を創設。
代表作に北方領土返還モニュメント「四島のかけはし」がある。
また同展を基盤としてドイツの造形作家らと交流を深め技術を提供、
82年にはドイツ連邦共和国功労勲章1等功労十字章を受章された。
国内では87年に文化功労者に認定、91年に文化勲章を受章した。

印名は「修吾郎」 「修吾郎印」 「修」など

長野垤志

長野垤志(ながの てつし、1900年(明治33)~1977(昭和52))
愛知県出身。本名は松蔵。

最初は画家を志して1917年に上京、しかし関東大震災を機に工芸に転向して
鋳金家山本安曇に師事。
1928年、香取秀真の七日会に入会。
1931年、名古屋の釜師伊東和正に茶の湯釜製作の指導を受ける。
1933年、帝展にて特選を受賞。

戦後は日展や日本伝統工芸展などに出品して59年にNHK会長賞を受賞、
63年「茶の湯釜」製造技術により国指定重要無形文化財(人間国宝)に認定。
「あしや釜」「天明釜」などの古作・名品型をよく研究してその模作を制作。
また、そうした古作を現代風にアレンジして斬新なデザインを展開する。
特に製造過程上困難とされていた「和銑釜(わずくかま)」の復元に成功させた技術は高く評価されている。
釜のほか鋳造作品として銅や銀を用いた花瓶や壺などにも秀作を残す。