小坂圭二

小坂圭二 こさか けいじ
(1918年 ~ 1992年)

キリスト教をモチーフとした作品で知られる彫刻家

大正7年4月8日、青森県上北郡に生まれる。
野辺地中学校在学中に阿部合成に師事するが、同13年より16年まで中国で兵役につき、一時制作から離れる。
同17年東京美術学校彫刻科に入学して柳原義達に師事。
同18年より21年までラバウルで兵役についた。
同21年東京芸術大学に復学し、菊池一雄教室に学ぶ。
同25年同校を卒業。同年から菊池一雄教室の助手をつとめた。
また、同年の第14回新制作協会展出品作によって新作家賞、同27年第16回同展では「裸婦」で同賞受賞。
同27年より翌年まで、東北十和田湖畔の「乙女の像」を制作中の高村光太郎の助手をつとめた。

兵役の体験からキリスト教に興味を抱き38才で洗礼を受ける。以後キリスト教関係の主題を多くとりあげて制作。
同34年新制作協会彫刻部会員となる。
同35年渡仏し、フランス国立美術学校に入学。ヤンセスに師事し、エジプト、ギリシャ、ヨーロッパ各国を旅して、同37年帰国した。
同45年大阪万国博覧会Expo’70のキリスト教館に「世界の破れを担うキリスト」を出品。
同48年「断絶の中の調和」がバチカン現代宗教美術館買上げとなり、翌49年東京カテドラル大聖堂に「太平洋の壷」が納入された。
同55年第1回高村光太郎大賞展に「人間1980」を出品して優秀賞受賞。
同57年第2回同展には「漁る人」を出品して再び優秀賞を受けた。十字架の造型に興味を抱き、「ザ・クロス」(昭和42年)、「連立の十字架」(同42年、青山学院初等部礼拝堂)等、幾何学的形態に象徴性を持たせる作品を制作する一方で、「新渡戸稲造」立像等、肖像彫刻も多く手がけた。

長江録弥

長江録弥 ながえ ろくや

1926年 愛知県で生まれる
1948年 日展で初入選
1957年 日彫展に出品
1965年 日展で特選
1966年 日展で菊花賞を受賞
1976年 文部大臣賞を受賞
1984年 高村光太郎大賞展で優秀賞を受賞
1986年 日展で文部大臣賞を受賞
1991年 日本芸術院賞を受賞
1995年 日本芸術院会員
1996年 日展常務理事
2005年 逝去

矢野秀徳

矢野秀徳 やの ひでのり
(1907年~1996年)

彫塑家 日展の重鎮
師 北村西望
1907 香川県丸亀市に生まれる
1929 東京美術学校(現・東京藝術大学)彫刻科、卒業
1930 日本美術院、初入選
1933 帝展初入選、以後、連続入選
1935 日本美術協会展にて、銀賞を受賞(同1937年)
1942 文展に無審査推薦される
1948 県展にて、文部大臣賞を受賞
1957 日彫賞を受賞(同1958年)
1963 日展委属
1968 日展にて、菊花賞を受賞
1971 日展審査員・会員となる
1996 1月13日、逝去。享年、88歳
翌年、11月4日、文化功労者となる

池田勇八

池田 勇八 いけだ ゆうはち
1886年-1963年 明治から昭和時代の彫刻家

明治19年8月28日生まれ 東京美術学校(現東京芸大)卒
42年文展で「馬」が入選後、3年連続特選となり、大正9年帝展審査員
昭和10年第三部会を結成、戦後は日展で活躍
題材を動物にしぼり「馬の勇八」とも呼ばれた
昭和38年3月31日死去 76歳 香川県出身 東京美術学校(現東京芸大)卒

矢崎虎夫

矢崎 虎夫 やざき とらお
1904年 ~ 1988年 昭和時代の彫刻家

明治37年 長野県諏訪郡永明村(現 茅野市)に生まれる
大正12年 諏訪中学校(現 諏訪清陵高校)卒業と同時に平櫛田中に入門
昭和 4年 第16回日本美術院展に「カナリヤ」(木彫)初入選
昭和 6年 東京美術学校(現 芸大) 彫塑科卒業
昭和 9年 日本美術院展「老母座像」入選。院友に推挙される
昭和21年 日展出品「バリ島の女の首」政府買上
昭和27年 法隆寺金堂再建の修復彫刻にあたる
昭和28年 日本美術院展白寿賞「若き女」
昭和29年 日本美術院展白寿賞「浴光立女」
昭和34年 日本美術院展白寿賞「立女」
昭和39年 渡欧オシップ・ザッキンに師事
昭和40年 フォワイエ・デ・ザルテイスト画廊(パリ市)にて個展
昭和41年 日府展・文部大臣賞「雷電像」
昭和45年 EXPO’70に「平和観音像」出展
昭和48年 パリ市バンセンヌ公園に「雲水群像」経つ
箱根彫刻の森美術館大賞展「托鉢」当館に収蔵
昭和49年 長野市第一回野外彫刻賞「托鉢」
昭和51年 木彫巨匠展出品

~中略~
昭和63年 茅野市駅前「調和」経つ
9月24日東京小平氏の自宅にて逝去、享年84歳
平成 2年 蓼科聖光寺境内に観音菩薩化身12体建つ
平成 3年 ピラタス蓼科ロープウェイ(現 北八ヶ岳ロープウェイ)に蓼科高原美術館・矢崎虎夫記念館開館

李禹煥

(リ・ウーファン、Lee U-Fan、昭和11年(1936)~)
大韓民国慶尚南道に生まれ。

1956年、ソウル大学校美術大学を中退後、来日。
1961年、日本大学文学部哲学科を卒業。
1969年、「事物から存在へ」が美術出版社・芸術評論募集に入賞。
1977年、第13回現代日本美術展 東京国立近代美術鑑賞受賞。
1979年、第11回東京国際版画ビエンナーレ京都国立近代美術館賞受賞。
1979年、第1回ヘンリー・ムーア大賞展優秀賞受賞。
1994年、日本文化デザイン賞受賞。
2002年、上海ビエンナーレ ユネスコ賞受賞。
2001年、世界文化賞 絵画部門賞受賞。
2006年、第47回毎日芸術賞受賞。

韓国文化省より文化勲章花冠、フランス文化省よりシュヴァリエ芸術文化勲章。
紫綬褒章、多摩美術大学名誉教授。

個展および国際展への出品多数。代表作は「点より」「線より」シリーズ。

石、木、紙、綿、鉄板、パラフィンといった〈もの〉を単体で、あるいは組み合わせて
作品を制作する「もの派」の代表的作家の一人として確固な地位を確立。

サインは「L.ufan」など

六谷梅軒

六谷梅軒(ろくたに ばいけん、1907年(明治40)~1973年(昭和48))
三重県出身

伊勢型紙彫師六谷芳蔵を父に持ち、小学校卒業より父に指導を受け、錐彫技法を学ぶ。
更に1933年には京都に移り兄の下で修行。また、鮫小紋、通し小紋の研究を進め、
39年に独立、以降、極鮫小紋の研究を長年にわたり没頭。
1955年に伊勢型紙技術で国指定重要無形文化財(人間国宝)に認定、72年には鈴鹿市文化功労者の
表彰を得ている。
江戸時代より続く同地の伝統工芸の伊勢型紙(錐彫)において鮫小紋、通し小紋といった
シンプルな文様を追求、シンプルさゆえに斑(まだら)が目立ちやすく、精密さが求められが
氏の作品では寸文の狂いのない卓越した技術と、それを支える精神性の高さがみられ
一文様を完成させるのに20~一ヶ月を有した作品も少なくない。

印名は「六谷梅軒」など

山崎朝雲

(やまざき ちょううん、慶応3年(1867)~昭和29年(1954)6月4日 87才没)
筑前国博多櫛田前町(現・福岡県福岡市博多区冷泉町)生まれ。別号は羯摩。

1884年仏師高田又四郎に師事。
1894年第四回内国勧業博覧会に出品、宮内省買い上げ。
1895年上京し、高村光雲に師事。1900年日本美術協会幹事。
1927年帝国美術院会員、1934年帝室技芸員、1937年帝国芸術院会員。
木彫による写実的表現に新生面を開いた。1952年文化功労者。
代表作は「大葉子」。

門下に松尾朝春・佐藤朝山がいる。

舟越保武

舟越保武(ふなこし やすたけ、1912年(大正元)~2002年(平成14))
岩手県出身。東京美術学校彫刻科卒

東京芸術大学名誉教授、芸術選奨文部大臣賞、高村光太郎賞など

中学の頃に兄に買ってもらった「ロダンの言葉」(高村光太郎:訳)をよんで彫刻に興味を持つ。
1934年、東京美術学校彫刻科に入学。
在学中は国画会に出品、卒業後は佐藤忠良らと新制作派協会彫刻部の創立に参加。
この頃から石彫作品を手掛けるようになる。
1950年には、父の影響や長男の病死などから、キリスト教に洗礼を受ける。
アンジェリコと洗礼名を受ける。
以降、キリスト教を題材とした作品を多く手掛ける。
62年、「長崎26殉教者記念像」で第5回高村光太郎賞を受賞。また同年突然性の脳梗塞に倒れ入院。
回復後は右手の自由を奪われたが、左手による制作を開始。
新たな船越芸術を展開し、78年には芸術選奨文部大臣賞を受賞。
現代彫刻界において具象彫刻の第一人者とされる。

印名、刻印は「舟」など