十一代 慶入

(けいにゅう、1817年(文化14)~1902年(明治35))
丹波酒造屋小川直八の子として生まれ、のちに旦入の婿養子として楽家に入る。

11代楽吉左衛門

1845年、28歳の頃に12代楽吉左衛門として家督を襲名。
西本願寺御庭焼露山窯に従事し、同寺明和光尊より号・雲亭を賜る。
のち、1871年の隠居後、慶入と名乗った。
また京都府の御用に従事、博物館の御用掛けなど、主に京都中心の活躍となった。
慶入の時代は、幕末~明治にかけての動乱期にあたり、茶や伝統文化の廃れた時代であったが
茶碗のほかに、立体的な置物などを作り、作陶に多様性を加えた。

印には、大徳寺大綱和尚筆の細書体の「楽」印を主に使用し、その他に行書体の「楽」、
草書体の「楽」、隠居後は上部に「白」中部に「絲(実際には糸偏が並列)」下部に「木」といった
独自の「楽」の書体の印を使用した。