十三代 惺入

(せいにゅう、1887年(明治20)~1944年(昭和19))
12代弘入の長男。本名は、惣吉(幼名)のち吉左衛門、喜英

13代楽吉左衛門

1919年家督を継承、吉左衛門を襲名。
作風は、独自に各地の鉱石を研究し、釉薬に生かせないかと研究し、鉱石釉黒茶碗などを制作。
楽茶碗のほかにも織部、志野、備前など、各地の陶磁も積極的に制作している。
また箆(へら)技術においても、個性的な表現が多く、全体的に見ると大胆な力強い作品を
多く残している。
没後、惺斎宗左より号、惺入を賜る。
印には「楽」上部の白の右側の糸偏が彡となっている草書体の「楽」印が特徴的で
その他に「十三代喜英」の角印がある。

十代 旦入

十代 旦入(たんにゅう、1795年(寛政7)~1854年(嘉永7))
本名は市三郎、惣次郎(幼名)のち吉左衛

10代楽吉左衛門

17歳の頃家督を継ぎ襲名。
千家十職として了々斎宗左や吸江斎宗左によく仕え、吸江斎宗左(宗旦)より旦入の号を賜る。
1819年の徳川家御庭焼の従事のほか、1828年に二度目の紀州行きを命じられ
吸江斎宗左、十代永楽了全、十一代永楽保全と共に南紀偕楽園窯に従事し、
治宝候より自筆隷書体の楽印を拝領し、おもな使用印とした。

作風は父・了入をよく継承し、ヘラの技術に優れ茶碗の角度によっての違った魅力を演出、
作品としては小ぶりのものを多く残している。

陶印は、徳川家斎順候の湊御殿御庭焼清寧軒窯に従事した頃の印「清寧印」、
他に行書「樂」(「楽」)印(楽の下部が正しく木となっている「木楽印」などを使用、
「木樂印」下部の木の字が撥ねている)

七代 長入

七代 長入(ちょうにゅう、1714年(正徳4)~1770年(明和7))
6代左入の長男。本名は惣吉(幼名)のち吉左衛門、栄清
7代 楽吉左衛門

15歳で家督を継承し吉左衛門を襲名。
茶碗制作に当たり、独自の交趾釉を創造。また金彩による絵付けが特徴となり、
茶碗全体の印象としては、やわらかく丸みを帯びた作風のものを多く残す。
茶碗以外にも代表作として、「日蓮上人陶像」に見れるように細工物や立体表現にも優れたとされる。

陶印は樂印が枠内で全体的に小さい。また彫りが深い。