高橋泥舟

高橋 泥舟(たかはし でいしゅう、天保6年(1835年3月15日)~明治36年(1903)2月13日 69才没)
江戸、旗本山岡正業の次男として生まれる。幼名を謙三郎。後に精一郎。通称 精一。
諱は政晃。号を忍歳といい、泥舟は後年の号である。日本の武士・幕臣。

生家の山岡家は槍の自得院流(忍心流)の名家で、精妙を謳われた長兄山岡静山に就いて槍を修行、
海内無双、神業に達したとの評を得るまでになる。

1856年、講武所槍術教授方出役。 1860年、槍術師範役。
1863年、一橋慶喜に随行して上京 従五位下伊勢守を叙任。
1865年、新設の遊撃隊頭取 槍術教授頭取を兼任。
1868年、幕府が鳥羽伏見の戦い敗戦後、帰京した徳川慶喜に恭順を説く。
江戸城から上野東叡山に退去する慶喜を護衛。江戸城開城。水戸へ下る慶喜を護衛。

勝海舟、山岡鉄舟と並んで「幕末の三舟」と呼ばれている。