村上華岳

村上華岳(むらかみ かがく、明治21年(1888)7月3日~昭和14年(1939)11月11日 51才没)
大阪生まれ。本名は武田震一。神戸で育つ。

京都市立美術工芸学校に学び、京都市立絵画専門学校(現:京都市立芸術大学)に入学。

大正7年(1918)、京都市立絵画専門学校の同窓であった
華岳、土田麦僊、榊原紫峰、小野竹喬、野長瀬晩花の
若手日本画家5人で国画創作協会を設立。

個性的な山水図や牡丹図、水墨にプラチナ泥(でい)を併用した仏画などを残している。
昭和期に入ってからの華岳の作品は、小品が多く、色彩もモノクロームに近いものが多い。

華岳の描く仏や菩薩は大正9年(1920年)の『裸婦図』の系譜を引いており、
世俗性と精神性、妖艶さと聖性、官能美と悟りの境地という相反する要素が不思議に調和している。
華岳の仏画は20世紀の宗教絵画の最高峰と言って過言ではない。