岡田半江

岡田半江(おかだ はんこ、1782年(天明2)~1846(弘化3))
大阪出身。
本名は粛。号は半江、小米、無声、自適、寒山、寒墨江老樵山寺外史、寒山寺野叟俗称、独松楼など

画を父岡田米山人に学ぶ。
また、独自に南宋画の研鑽を積んで画技を修得。
1809年、父の後を継いで伊勢藤堂藩に絵師として出仕。
翌年、父との合作安積家障壁画の制作に取り組み活躍を示すが、その後大阪に戻り
父の没後は大阪画壇の中心的な画家としての地位を確立、
南画山水、花弁など緻密な描写を得意とした。
また、浦上春琴など当時の一流文人・画家らと交流を深め詩文にも秀で、
自らの作品に賛を付したものをよく残している。

代表作に「春霞起鴉図(自賛)」(重文指定)

印名は「半江」 「田粛」 「田粛之印」 「小米虫」 など