土佐光起

土佐光起(とさ みつおき、1617年(元和3)~1692年(元禄4))
泉州堺出身。本名は藤光(幼名)、光起、常昭

土佐光則の長男として生まれ、承応3年に左近将監に命ぜられ、宮廷の絵所預かりとなり
衰退気味であった土佐派を再興。
光起以降絵所預かりが土佐派の主な仕事となり土佐派における重要な絵師であったことが伺え、
画風も狩野派に対抗するべく土佐派本来の伝統的な大和絵の技法に加え中国の技法を研究し、
新たな土佐派の技法を確立、土佐は中興の祖とされている。
また、延宝9年には落髪して法橋に叙せられ後に法眼となる。

代表作に「厳島松島図屏風」「北野天神縁起絵巻(重文指定)」[「紫式部像(重美)」など

印名は「土佐左近将光起印」「土佐」「土佐氏」「監将」「藤原」「土佐常昭」「光起之印」
「光」「書院待詔之印」など