土佐光孚

土佐光孚(とさ みつざね、1780年(安永9)~1852年(嘉永5))
京都出身。本名は光孚 、幼名は虎若丸

土佐光貞の子として生まれる。幼少のころより父光貞につき土佐派の画技を学ぶ。
10歳にして、新造内裏清涼殿の布表紙に「墨画名所図」仙洞御所小書院の小襖に
「花鳥図」などを書く。
その後絵所預かりになり、正四位上に至る。

画風は父を受け継いだが、父よりも評価が高く幕末土佐派の代表格とされる。

印名は「藤光孚印」 「光孚」 「書院之章」 「大中大夫之印」 「後素世家」 など