喜多川歌麿

喜多川歌麿(きたがわ うたまろ)2代
最近の研究で、2代歌麿は1806年(文化3)歌麿が没した後、自称2代を名乗った、2代歌麿と
1814年(文化11)に正式襲名した恋川春町(2代)とが存在することが分かっている。
その後も「歌麿筆」(哥麿筆)の肉筆画は後を絶たず、判然としないものが数多く混在する。
今後、更なる研究を待つこととなる。

印名は「春町」など