八代 一燈宗室 又玄斎

八代 一燈宗室 又玄斎(ゆうげんさい、1719年(享保4)~1772年(明和8))
本名は十一郎(幼名)、宗室

裏千家8世家元 一燈宗室

表千家6世原叟宗左の3男として生まれた。
次兄であった政之助(裏千家7世竺叟宗室)が25歳で突然没した為、
15歳のときに、今日庵に養子として入って、裏千家8世を襲名。

加賀金沢前田家や、伊予松平久松に仕えるほか、
当時の茶道人口の増加に伴い大徳寺無学宗衍らの協力を得て、
長兄の表千家7世天然宗左と共に、「七事式」を制定、これにより千家流の茶道の隆盛につなげた。
また、1751年には天然宗左が他界しており、このとき8世表千家宗左が8歳と幼かった為、
1758年の千宗旦百回忌の法要茶事では、一門の代表者として主催している。