七代 天然宗左 如心斎

七代 天然宗左 如心斎(じょしんさい、1705年(宝永2)~1751年(寛延4))
本名は与太郎(幼名)、宗巴のち宗左

表千家7世家元 天然宗左

表千家6世家元原曳宗左の長男として生まれる。
26歳の頃に家督を襲名、表千家7世宗左となる。

茶の湯が一般にも普及し始めて遊芸性が増したことにより、
新たな茶道の稽古法として「七事式」を裏千家8世家元の一燈宗室らと共に制定、
また1740年には、利休没後150年を期に利休を祀った祖堂を建設。
さらに家伝の利休形の道具の整理をして極書をおこなった。
家元が一子相伝であることに明確性を出すため「云置」を製作、後年の家元継承に際して指針となった。
表千家のみならず、現在の茶道家元制度の基盤を確立したとして千家中興の祖とされている。