穐月明

穐月明(あきづき あきら、1929年~)和歌山県高野山に生まれる。

1989年、『穐月明水墨画集』(京都書院)刊行。
画業35年ー墨彩の世界展を池袋アート・フォーラムに於いて開催。
約70点の代表作を展覧。併せて美術画廊では新作展を開いた。
1990年、新宿伊勢丹にて千石任・穐月明「書と画」二人展。
大阪上本町近鉄百貨店に於いて穐月明水墨画展を開催。
1992年 西武アート・フォーラムに於いて<穐月明墨彩展>開催。
観音・菩薩像から野仏など仏画をはじめ、身近にある椿芙蓉等の差し花、風景などを主要モチーフとし、
潤いに満ちた水墨の濃淡の世界を表出。”平凡なものに無限の味を覚えるようになった。”
と自ら語る近年、豊かな表現力に支えられて、その画境は益々清澄に、
そして滋味深く展開心象を映す独自の墨彩世界を描き続けている。

秋山巌

秋山巌(あきやま いわお、1921年(大正10)~(現在))
大分県出身。太平洋美術学校卒

1953年太平洋美術学校を卒業後、棟方志功、坂本繁二郎らに師事。
また独自に、木版画・銅版画・孔版画・墨画などを学び、
66年に日本カレッジウイメンズ(C.W.A.J)版画展に初入選し、以降同展招待出品となる。
77年には日下里美、高橋 功、土屋正男らとともに「棟方志功四大弟子展」を開催。
これが好評を得、現在までに国内250回以上、国外15回以上を数え、
近年も最新作の制作に全力をかける。

動物、鳥、民話などをテーマに木版画の製作を続ける。特に種田山頭火の句と組み合したシリーズが
高く評価されている。

印名は「巌」など

秋野不矩

(あきの ふく、明治41年(1908)7月25日~平成13年(2001)10月11日 93才没)
静岡県磐田郡二俣町(現・浜松市天竜区二俣町)生まれ。
静岡県女子師範学校(後の静岡大学教育学部)卒業。
石井林響、西山翠嶂に師事。

日本画の要素によく含まれる花鳥風月を嫌い、50代からインドに魅せられ、インドの材料を使った新しい境地を開拓する。 1991年(平成3年) 文化功労者表彰。1999年(平成11年) 文化勲章受章。

静岡県浜松市に秋野不矩美術館がある。

鑑定人・鑑定機関

ギャラリー鉄斎堂
京都市東山区新門前通東大路西入ル梅本町262
Tel:075-531-6164
http://www.tessaido.co.jp/gallery.html

赤松雲嶺

赤松 雲嶺 (あかまつ うんれい、明治25年(1802)67歳没)
大阪市生まれ。本名は好亮、字は公明。

小山雲泉、姫島竹外に師事する。
大正4年文展に初入選。
日本南画院同人をつとめ、南画塾「墨雲社」を主宰、後進の指導にも尽力する。

写実味の強い水墨山水を得意とする。
帝展審査員。
官展を中心に活躍し、帝展・文展無鑑査となります。
戦後は大集会に所属し大阪市展の審査員も務める。

青山亘幹

青山亘幹(あおやまのぶよし、1945年~)
神奈川県に生まれる。

1969年、東京芸術大学卒業。
1971年、シェル芸術賞1等賞授賞、東京芸術大学大学院修了。
1972年、新鋭選抜展1等賞 。
1973年、山種美術館賞展(以後4回出品)。
1984年、第1回横の会展(以後毎回10回展まで) 。
1985年、日本画裸婦大賞展招待作品 。
1987年、有楽町アートフォーラムで個展 。
1988年、日本画の裸婦展(埼玉県立近代美術館) 。
1989年、日本橋三越で個展。
1990年、札幌東急で個展。
1991年、中野嘉之と二人展(大三島美術館)。
1992年、日本橋高島屋で個展。
1994年、日本橋三越本店 大阪三越 名古屋三越で個展。
1995年、林潤一と二人展(上野松坂屋)
1996年、長野東急で個展。
1997年、福岡・天神岩田屋で個展。
1998、2000年、日本橋三越本店で個展。

現在無所属 。

青山亘幹はシェル美術大賞展での一等受賞を皮切りに、
現在に至るまで精力的に作品を発表し続け、高い評価を得ている日本画家です。

青木木米

青木 木米(あおき もくべい、明和4年(1767)~天保4年(1833年7月2日) 67才没)
京都生まれ。幼名八十八。字は佐平。号は青来、百六散人、古器観、亭雲楼、九九鱗、木米、聾米。

若くして高芙蓉に書を学び頭角を現す。
30歳を境に作陶に目覚める。京都・粟田口に釜を開き評判を得る。
5年後には加賀藩前田家の招聘を受け、絶えていた加賀九谷焼の再生に尽力した。

永樂保全、仁阿弥道八とともに京焼の幕末三名人とされる。
文人画系統に属する絵画にも秀作が多い。

青根九江

青根九江(あおね きゅうこ、1805年(文化2)~1854年(安政元年))
近江国彦根出身。本名は介

彦根城下にて藩主御用の茶屋(豪商)の家に生まれる。
その後、京に上って画を山本梅逸に師事。
当時の画人名鑑「平安人物誌」嘉永五年版に登場しているが、その現存作品は非常に希少で
詳細は不明な部分が多く、現存作からは梅逸風の南頻南画花鳥図など秀作を残している。

青木夙夜

青木夙夜(あおき しゅくや、(生年不詳)~1802(享和2))
京都出身、本名は浚明

生家は京都の豪商青木家とされているがその生年は不詳。
自ら、韓国餘章王の後裔と称して余夙夜と称し、
また従兄弟である書家の韓天寿(中川長四郎)を通じて池大雅に入門、
大雅の原本に基づいた画を良く描いたとされているが、
師とはその表現方法が異なり、おおらかな画風を示した大雅に対して、緻密で繊細な画風を示した。
また、師の没後は双林寺内に大雅堂を建設して、その堂守となり2世大雅とも自称した。

印名は「夙夜」 「餘夙夜」 「餘浚」 「餘氏夙夜」 「八岳」 「八岳山人」 「韓国餘章王裔」 「餘浚明」 など

青木大乗

(あおきだいじょう、明治24年(1891)~昭和54年(1979)、87才没)
大阪市に生れる。

1912年、関西美術院で洋画を、京都絵画専門学校で日本画を学ぶ。
1923年、新燈社洋画研究所を開設。
1935年、新燈社解散 日本画に専念。
1937年、結城素明、川崎小虎らと大日本美術院を創立。
1952年、大日本美術院解散 無所属作家として活躍。
1963年、大阪府・大阪市合同の芸術賞受賞。
1970年、勲三等瑞宝章受賞。

初期は克明な写実描写と油絵くの技法も加味し、
晩年は水墨画、大画日本画壇でも異色の存在であった。