加倉井和夫

加倉井和夫(かくらい かずお、1919年(大正8)~1995年(平成7))
神奈川県横浜市出身。東京美術学校日本画科卒。

美術学校卒業後、1947年第3回日展にて初入選。以降入選を重ねる。
58年、61年に特選、63年に菊花賞を受賞。67年に会員に推挙。
この間、54年からは高山辰雄らと共にグループ展(一采社)にも参加。
57年より山口蓬春にも師事している。
1974年、日展内閣総理大臣賞、81年には前年の日展出品作「青苑」により日本芸術院賞を受賞、
同年に芸術院会員、90年に日展常務理事にそれぞれ就任。92年には勲三等瑞宝章を受章した。

風景、花鳥を中心に淡い色彩と確固たる描写力で自然界に内包する美を表現、
また、緊密な構成で詩情豊かな作品を残す。

印名は「和」「わ」など

海北友松

海北友松(かいほう ゆうしょう、1533年(天文2)~1615年(慶長20))
近江の人。師、狩野元信・狩野永徳。海北派の祖。

狩野派を学んだ後独自に宋、元の画風を研究。
装飾画様式を樹立。桃山期の大家として知られる。

当時の将軍豊臣秀吉、後陽成天皇らからも用命を受け、障壁画、屏風絵などを製作した。
画風は、花鳥、山水、人物などを主とし水墨、彩色ともに優れた。

代表作「雲龍図」が重文指定

印名は「海北」 「友松」 など

海北友雪

海北友雪(かいほう ゆうせつ、1598年(慶長3)~1677年(延宝5))
海北友松の長男。本名は道照、友雪

父の画風を受け継ぎ、装飾的画法を確立していく。
海北友松・狩野探幽に師事。
春日局の推挙により、徳川家光の愛顧を受ける。
さらに子、海北友竹も画業を受け継いでおり、海北派の存続に貢献。

印名は「海北」 「友雪」(「又又雪」) 「友雪斎」 「道暉」 など

加藤晨明

加藤晨明(かとう しんめい、1910年(明治43)~1998年(平成10))
愛知県名古屋市出身。本名は清。

1934年より中村岳陵の蒼野社に入門して画技を習得する。
1938年、第25回院展で日本美術院賞第3等を受賞するなど活躍する。
戦後は師、岳陵が日展に移ったことにより、晨明氏も日展に移行。
日展には第1回より連続出品を重ね、47年第3回日展で特選・白寿賞を皮切りに
50年に白寿賞、51年に特選・白寿賞52年に白寿賞と連続して受賞を重ね、
58年に会員に推挙、73年より評議員、89年文部大臣賞受賞、を経て90年より参与を務めた。
(その後95年には勲4等瑞宝章に選出)

当初より人物画を主として描き特に写生を基本とした写実女性像や舞妓をモチーフに
清潔感や豊かな情感を表現した作品を多く残した。

印名は「晨」「晨明」「志んめい」など