益田鈍翁 一行書 「山呼萬歳聲」 横井夜雨箱書

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¥558,000 税込

商品コード: c-5286
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作者 益田鈍翁 益田 孝
ますだ たかし
嘉永元年 - 昭和13年
実業家・茶人。新潟県生。名は徳之進、のち孝、別号に観涛・雲外・宗利。佐渡の幕臣の家に生まれるが、上京し大蔵省に入る。後、三井物産を創業し、財界の頂点に立つ。一方、不白流川上宗順に就いて茶道を学び、大師会・光悦会などの大茶会を催すなど茶道復興に大きく寄与した。茶道具をはじめ、仏教美術・古筆などの蒐集や、小田原隠棲後の懐石研究でも知られ、数奇者として名高い。
昭和13年(1938)歿、91才。
寸法 本紙:28.8cm 縦109.5cm
総丈:横30.5cm 縦180.5cm
付属品 横井夜雨箱書
箱書 横井夜雨
1883年(明治16年) - 1945年(昭和20年)愛知県名古屋市生
明治からか昭和まで活動した実業家で慶應義塾を卒業後王子製紙に入社し、参与を務める。その後、樺太で山林会社を設立。
ロシアのモスクワで務めた後、東京へ戻り、三井財閥の創始者、益田孝(鈍翁)を私淑し、茶の湯を能くする。茶会記の研究及び古陶の研究家をした。
1945年(昭和20年)死去。
小田原に、小田原における旧横井夜雨別邸・茶室 「廂庵」がある。
商品説明 益田鈍翁が晩年の87才時に揮毫された一行書 「山呼万歳声」です。
【山呼萬歳聲】
(やまはよぶ ばんぜいのこえ)
“昔、漢の武帝が崇山に登り、山の神を祭り、国家の鎮護を祈念すると、臣民一同が「万歳」と叫びました。それがあたりにこだまして、あたかも全山が「万歳」と叫んでいるようだった”、という故事によります。
「万歳」のことを、「山呼(さんこ)」というのも、ここからきています。また、その「万歳」がこだまして、「万歳万歳万々歳」と三度聞こえた、ということで、「三呼」ともいわれます。

一行書の左右には「我が君は 千代に八代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」と揮毫されております。
表具は一文字・菊桐文金襴 中回し・花文金襴 上下、しけのとても上等な表具で概ね良い状態です。

箱書は横井夜雨で蓋表に「鈍翁筆 山呼萬歳聲」
蓋裏に「お社の 池にともして 瀧の水 清きに馴れて 鶉ぞあそべる 夜雨筆堂什」

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