¥188,000 税込
路歎冬 あやなくも いはてやしたふ 道の辺の ゆく手の袖に かくる山ふき
池歎冬 かけうつる 八重山吹の うら衣 春のいけへに かつくにほ鳥
河歎冬 あさ日影 きよ瀧川に うつろふや 露なり羅なり 山吹の花
路を歎ずる冬 道理に合わなくても、口には出さずに慕っている。 道端で道行きの服の袖で山吹を隠して待っている。
池を歎ずる冬 八重山吹の花裏の影が映る春の池に、かいつぶりが水中に潜っていく。
河を歎ずる冬 朝日の光が清瀧川に移ろっている。山吹の花の露のようになったり、山吹の花の柄の羅のようになったりしている。 清滝川(きよたきがわ,英語: Kiyotaki River)は、京都市北区・右京区を流れる淀川水系桂川支流の一級河川。
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戦国時代の公家。近衛家16代当主
父は近衛尚通。母は徳大寺実淳の娘維子。
永正11(1514)年従三位の後,右大臣を経て関白を2度歴任。
妹慶寿院が足利義晴に嫁していたこともあり,将軍家とは結び付きが深い。
天文22(1553)年,三好長慶の入洛で足利義輝が京都を追われるとそれに従い,近江朽木に過ごす。
永禄1(1558)年には義輝に娘を嫁がせている。
天文期からは薩摩島津氏との交際もみられ,『島津家文書』には,稙家が島津忠良の作る「いろは歌」に奥書を加えたり,その子貴久らの受領,官途を斡旋したとの記述がみえる。
父尚通から古今伝授を受け,『源氏物語』を学んだ。
和歌や連歌の作品も残っている。
一字名は「梅」。号は恵雲院覚天大円。なお生年を文亀3(1503)年とする説もある。
総丈:横32.5cm 縦134cm
路歎冬 あやなくも いはてやしたふ 道の辺の ゆく手の袖に かくる山ふき
池歎冬 かけうつる 八重山吹の うら衣 春のいけへに かつくにほ鳥
河歎冬 あさ日影 きよ瀧川に うつろふや 露なり羅なり 山吹の花
訳は
路を歎ずる冬 道理に合わなくても、口には出さずに慕っている。
道端で道行きの服の袖で山吹を隠して待っている。
池を歎ずる冬 八重山吹の花裏の影が映る春の池に、かいつぶりが水中に潜っていく。
河を歎ずる冬 朝日の光が清瀧川に移ろっている。山吹の花の露のようになったり、山吹の花の柄の羅のようになったりしている。
清滝川(きよたきがわ,英語: Kiyotaki River)は、京都市北区・右京区を流れる淀川水系桂川支流の一級河川。
表具は一文字、中回し共金襴、上下紙の上等な表具で良い状態です。