富田渓仙 「寒山拾得」図 建仁寺 竹田黙雷(賛) 絹本金襴軸装

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¥288,000 税込

商品コード: s-1457
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作者 富田渓仙
(とみたけいせん)
明治12年(1879)~昭和11年(1936)
57才没 福岡県生。

12歳で狩野派を学ぶ。
明治29年、京都へ出て、都路華香の書生になり四条派を学ぶ。
仙崖,与謝蕪村に私淑,富岡鉄斎に傾倒し,また仏画の研究を重ねた。
文展出品作「鵜舟」などが横山大観に認められ院展へ参加。
大正4年第2回院展出品作「宇治川の巻」、昭和8年第20回院展出品作「御室の桜」などが代表作。

桜をこよなく愛した。車折神社には渓仙が寄贈した渓仙桜がある。
寸法 本紙:横41.7 縦111
総丈:横55.8 縦203
付属品 佐野光穂箱 二重箱
佐野光穂 日本画家。長野県生。
名は金治郎、初号は省峰、別号に契明・泥牛等。
初め同郷の菊池契月に入門、四条派を修めるが、のち富田渓仙の門に転じ、院展で入選を重ねる。渓仙流の新南画的作品や琳派風の花鳥画を能くした。日本美術院院友。
昭和35年(1960)歿、64才。
店主より一言 「寒山拾得」 中国,唐の伝説上の2人の詩僧。天台山国清寺の豊干禅師の弟子。拾得は豊干に拾い養われたので拾得と称した。寒山は国清寺近くの寒山の洞窟に住み,そのため寒山と称したといい,樺皮を冠とし大きな木靴をはき,国清寺に往還して拾得と交わる。文殊・普賢の化身と称された。寒山は巻物を手にし、拾得は箒を持つ姿で描かれる。
賛は竹田黙雷(安政元年(1854)ー昭和5年入寂。77歳)臨済宗建仁寺派第4代管長で管長在任中に僧俗約4000人の弟子がいた。)
表具は上等な金襴表具で金襴と緞子、牙軸で良い状態です。

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