"当家は小堀新助正次の二男、遠江守政一の同腹の弟治左衛門正行の裔であるが、正行の血統は絶え、六代からは、遠州直系本家五代、和泉守政峰(宗香)の血統となって、当代に至っている。今より約二百年五十年前のことである。
先祖正行は短命だった為、兄政一の如く、その名は世に知られないが、徳川家康に仕え、三千石を賜り、出陣の際は必ず御先乗を承わった由、慶長十九年、大阪冬の陣に加わり、翌元和元年八月十四日、惜しくも京都の兄政一の官邸にて病没した。正行に兄より茶道の教えを受け、その奥義に道し、爾来代々相伝して今日に至る。
当代は正行より十四世なれども、政一より数えて十五世を称す。因みに本家六代政方、当家九代政徳までの系譜は、政徳の呈譜による「 寛政重修諸家譜」にくわし。なお、たとえ当家の政郷の嫡子が夭折したとて、本家五代政峰の後を継ぐべき嫡子、政報(宗忠)-----次男-----、政展(宗信)-----五男-----が、 何故当家へ養子に来たかは不明である。また、菩提所法身寺の建立は、三代宗舟が、讃岐国櫓奉行を勤めし功による三百石の加増を拝辞し、 その代償として望む所であると、古記録に見え、同所に遠州の父正次(宗玄)、当時の祖正行(宗虎)の墓も建つ。
家紋「花輪違い」「丸に卍字」(蔭紋)家伝に日、元「扇に鶴の丸」を家紋とし、正次の時「丸に卍字」に改め、政一の時より「花輪違い」を用う。"
出典:小堀宗通(1969)『小堀遠州の茶道』浪速社.
代 | 名 | 号 | 庵号 | 没年 |
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初 | 小堀政一 | 宗甫 | 孤篷庵 | 正保4 |
2 | 小堀正行 | 宗虎 | 元和元 | |
3 | 小堀正十 | 宗貞 | 正和元 | |
4 | 小堀政孝 | 宗舟 | 貞享元 | |
5 | 小堀政利 | 宗功 | 元禄7 | |
6 | 小堀政郷 | 宗安 | 享保9 | |
7 | 小堀政報 | 宗忠 | 享保18 | |
8 | 小堀政展 | 宗信 | 明和元 | |
9 | 小堀政弘 | 宗道 | 天明8 | |
10 | 小堀政徳 | 宗勇 | 文政2 | |
11 | 小堀政純 | 宗圓 | 嘉永4 | |
12 | 小堀政恒 | 宗仁 | 弘化2 | |
13 | 小堀政休 | 宗舟 | 為楽庵 | 明治34 |
14 | 小堀政孝 | 宗博 | 深入庵 | 大正11 |
15 | 小堀進 | 宗忠 | 静楽庵 | 昭和28 |
16 | 小堀文雄 | 宗通 | 法楽庵 | 平成11 |
17 | 小堀大愼 | 宗圓 | 為楽庵 | 当代 |