瀟湘八景画 画帖 狩野洞春(画) 一条兼輝他書

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¥488,000 税込

商品コード: s-2067
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作者
一条兼輝 いちじょう-かねてる
江戸時代前期の公卿・一条冬経(1652~1705)。関白・摂政として東山天皇と霊元上皇を補佐し、儀礼や制度の復興に尽力。神道にも精通し、「兼輝公記」を著した。

堯恕法親王 ぎょうじょ ほっしんのう
後水尾天皇の第十皇子・完敏(1640~1695)。天台宗妙法院門跡で、号は逸堂。皇族僧として学識深く、宗門の中心的存在だった。
堯恕法親王 ぎょうじょ ほっしんのう (1640~1695)
後水尾天皇の第十皇子で、天台宗妙法院門跡の皇族僧。諱は完敏、号は逸堂。学識豊かで宗教界に影響を与えた。

公弁法親王 こうべんほっしんのう (1669~1716)
後西天皇の第六皇子で、天台宗の高僧。毘沙門堂門跡や寛永寺貫首などを務め、一品・准三宮に叙され、号は脩礼・玄堂。

九条輔実 くじょう-すけざね 1669-1730
江戸時代前期~中期の公卿。左大臣・関白を歴任し、絵画にも優れた。京都上善寺の弁天十五童子は彼の遺作とされる。

醍醐冬基 だいご-ふゆもと 1648-1697
一条昭良の次男で、慶安元年生まれ。霊元天皇の詔により醍醐家を創設。権大納言・正二位に至り、元禄10年に50歳で没した。

清水谷実業 しみずだに-さねなり 1648-1709
江戸時代前期~中期の公卿・歌人。熊沢蕃山に儒学を学び、霊元天皇に和歌を師事。「高雄紀行」の著者としても知られる。

烏丸光雄 からすまる-みつお 1647-1690
江戸時代前期の公卿・歌人。参議・権大納言を歴任し、二条派の歌学を継承。歌論家として知られ、「光雄卿口授」が伝わる。

幸仁親王 ゆきひとしんのう 1656-1699
後西天皇の第二皇子。和歌・書・茶・絵に優れ、霊元天皇から入木道を伝授。文化人として名高い宮家の祖。


狩野洞春 (1747-1797)
江戸時代中期-後期の駿河台狩野家の画家。父・狩野元仙の跡を継ぎ、法眼となる。
朝鮮贈呈屏風を制作し、「浩然斎」と号した。
寸法 本紙:縦18cm 横:16cm~16.5cm
全体の幅:縦25.3cm 横22.5cm 厚さ:2.3cm
付属品 時代箱
商品説明 瀟湘八景画帖です。
画、八枚は狩野洞春が描いております。
書は一条兼輝・堯恕法親王・公弁法親王・九条輔実 ・醍醐冬基・清水谷実業・烏丸光雄・幸仁親王の八人です。
瀟湘とは、中国の長江中流の洞庭湖(どうていこ)に流れ込む湘江およびその支流瀟水(しょうすい)のことをいい、湖南省の名勝である。『楚辞』にうたわれる伝説の皇帝・舜の妃2人と屈原の入水の地として、哀切なイメージを持った土地でもある。中国においては、宋代の画家・宋迪(そうてき)(11世紀頃)が、平沙落雁(へいさらくがん)・遠浦帰帆(えんぽきはん)・山市静嵐(さんしせいらん)・江天暮雪(こうてんぼせつ)・洞庭秋月(どうていしゅうげつ)・瀟湘夜雨(しょうしょうやう)・煙寺晩鐘(えんじばんしょう)・漁村落照(ぎょそんらくしょう)を描いたと伝えられる

和歌は山市晴嵐 まつたかき 風よりうへの 峯はれて あらしにしつむ やまもとの雲
遠浦帰帆 かせむかふ くものうきなみ たつとみて 釣せぬさきに かへるあま人
漁村夕照 浪の色は 入日の底に なを見えて いそきはくらき 木かくれのいを
遠寺晩鐘 暮かかる 霧よりつたふ かねのをとに をちかた人も 道いそくなり
洞庭秋月 秌にすむ 水すさましく 風さえて 月にひたせる おきのさざ波
平沙落雁 まつあさる あしへのともに さそはれて 雲行かりも 又くたる也
瀟湘夜雨 舟よする なみにこゑなき よるの雨を とまよりくたる 雫にそしる
江天暮雪 あしのはに かゝれる雪も ふかき江の みきはの色は 夕ともなし

書の料紙は地紋が入り金泥が引かれ砂子が蒔かれ画が描かれております。
上部には龍の画が描かれております。
画は絹本に上等な絵の具を使用して細密に描かれております。
画帳の表紙には菊文の金襴が貼られております。
画、書共良い状態です。

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