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1885年 岐阜県恵那郡中津川村(現 中津川市)に生まれる
1901年 尾崎紅葉のすすめで梶田半古の塾に入る
1902年 師半古から「青邨」の雅号をもらう
1918年 日本美術院評議員に推挙される
1922年 日本美術院留学生として小林古径と渡欧する ローマ・フィレンツェ・パリに滞在
1945年 郷里中津川に疎開 終戦後北鎌倉の自宅に戻る
1950年 東京芸術大学教授となる
1955年 文化勲章受賞 中津川市名誉市民となる
1967年 法隆寺金堂壁画再現のため,総監修に安田靫彦(ゆきひこ)と就任
1970年 皇居新宮殿「石橋(しゃっきょう)の間」に「石橋」を制作
1972年 高松塚古墳壁画模写の総監督に委嘱される
1977年 鎌倉で逝去 戒名「画禅院青邨大居士」
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【 1885年~1977年 】
1885年 岐阜県恵那郡中津川村(現 中津川市)に生まれる
1901年 尾崎紅葉のすすめで梶田半古の塾に入る
1902年 師半古から「青邨」の雅号をもらう
1918年 日本美術院評議員に推挙される
1922年 日本美術院留学生として小林古径と渡欧する ローマ・フィレンツェ・パリに滞在
1945年 郷里中津川に疎開 終戦後北鎌倉の自宅に戻る
1950年 東京芸術大学教授となる
1955年 文化勲章受賞 中津川市名誉市民となる
1967年 法隆寺金堂壁画再現のため,総監修に安田靫彦(ゆきひこ)と就任
1970年 皇居新宮殿「石橋(しゃっきょう)の間」に「石橋」を制作
1972年 高松塚古墳壁画模写の総監督に委嘱される
1977年 鎌倉で逝去 戒名「画禅院青邨大居士」
額:横86.5cm 縦66.5cm フレーム幅:5.8cm
琳派の様式美を踏襲した紅白梅図は、青邨晩年期に描かれました。
本作は横長の構図で白梅が多く描かれた、青邨紅白梅図の中でも優しく気品あふれる作品でございます。
やわらかくも迷いの無い筆の流れと、岩彩の粒子を巧みに用いて表現された梅の枝、また繊細な絵具の重なりで花びらの柔さまで伝わる梅の花の描写には、画家の画業の円熟を見ることができます。
本紙に目立ったシミなどなくコンディションは良好です。
本紙左下に署名落款有り。
東京美術倶楽部鑑定証明証付きです。