野口光彦

野口光彦(のぐち みつひこ、1896年(明治29)~1977(昭和52))
東京出身。

江戸期より御所人形、有職雛人形などが製作されてきたが
それらは主に愛玩人形あるいは、祭事物であった。
野口や後の人間国宝の2代平田郷陽、野口明豊、堀柳女等により、
昭和11年の帝展に出品し入賞したことを機に美術工芸としての存在を示すようになる。
野口は代々東京有職御所人形師の家に生まれその家業を継ぐが、
伝統を受けとめながらも当時の人形界の独創性を自らかんがみ、
独自に創作人形の製作を開始する。

戦後には日展、日本工芸会に出品。
また審査員、理事などを務め戦後~現在の人形芸術の基礎を築き、
上記作家等と共に日本人形界発展に尽力した一人としての功績は現在の市場評価以上のもの
として高く評価されている。

印名は「光彦」など