足利紫山

足利紫山 (あしかが しざん、安政6年(1859)〜昭和34年(1959)、100才没)
尾張国一之宮村(愛知県一宮市)に生まれる。 本名は野々垣重太郎。
臨済宗の僧。方広寺派管長。

慶応2年、7歳で静岡県清水市の清見寺で得度する。
7歳で静岡県清水市の清見寺で得度する。
臨済宗総黌で今北洪川に師事。
儒学者安井息軒に漢学を学ぶ。
明治24年大分市の萬寿寺の副住職となり、3年後には住職に就任。
この時、姓を足利に改め、僧名を紫山と変した。
大正15年、萬寿寺住職を退任し、方広寺派管長に就任。
昭和16年に臨済宗が連合した際には、初代臨済宗管長となった。

筆跡は枯淡のうちに雅致に富み、孤高の風格を表わしている。