赤松雲嶺

赤松 雲嶺 (あかまつ うんれい、明治25年(1802)67歳没)
大阪市生まれ。本名は好亮、字は公明。

小山雲泉、姫島竹外に師事する。
大正4年文展に初入選。
日本南画院同人をつとめ、南画塾「墨雲社」を主宰、後進の指導にも尽力する。

写実味の強い水墨山水を得意とする。
帝展審査員。
官展を中心に活躍し、帝展・文展無鑑査となります。
戦後は大集会に所属し大阪市展の審査員も務める。