菊池芳文

菊池芳文 (きくちほうぶん、文久2年(1862)~大正7年(1918) 57才没)
大坂の書画を扱い表具を行った家に生まれる。

滋野芳園に師事。京都に出て幸野楳嶺に入門する。
早くから評価を受け、日本美術協会、日本絵画協会の双方に出品。
竹内栖鳳、谷口香きょう(山喬)、都路華香とともに楳嶺門下の四天王と称される。 京都画壇の重鎮で花鳥画で有名、特に桜の絵を得意とした。

文展では、第1回展から審査員を務める。
菊池塾を主宰し、後進の育成にも尽力した。