菊池容斎

菊池容斎 (きくち よさい、1788-1878)
幕府の御徒、河原武吉の子として江戸に生れる。通称量平。

1802年、江戸城西丸御徒務めとなる。
1805年、狩野派の画家、高田円乗の門に入る。
1825年、病気のため西丸御徒を退役。これを機に父方の菊池姓に復したと思われる。
また、この頃から狩野派を基礎にした初期の画作が見えはじめる。
1828年、近畿方面の史跡探訪。吉野の如意輪寺で後醍醐帝の御像制作を依頼される。
1836より『前賢故実』を手がける。『前賢故実』は、古代から南北朝にいたる天皇につくした忠臣烈婦など
571名の画像に評伝をつけた版本で、1843年に初編二巻が発行。
1868年、刊行なった『前賢故実』全十巻が明治天皇に献上される。
1875年、明治天皇より「日本画士」の称号をもらう。
1878年、死去。

以降、生前のこうした事蹟から勤王画家としてのイメージが定着するが、 画制作においては一流派にとどまることなく東西の様々な画風を学んで覇気のある作風を打ち立て、 その門下から松本楓湖や渡辺省亭などが輩出。また『前賢故実』は、明治の歴史画の手本として多く利用された。