菅楯彦

菅楯彦 (すがたてひこ 明治11年(1878)~昭和38年(1963) 85才没)
鳥取市生まれ。名は藤太郎。別号に盛虎、静湖。父は日本画家菅盛南。

幼時に両親とともに大阪へ移住。
父が倒れ、11歳で家業を継ぎ、絵で生計を立てた。絵は独学で父以外に師事することはなかった。

写生体を基調に独自の様式を形成。晩年は昔日の浪速風俗を主題に連作し、高い評価を得た。
1950年、日展の委嘱を受け、亡くなるまで出品した。
芸術院恩賜賞、大阪市名誉市民章、倉吉市名誉市民章。