荒木寛畝

荒木寛畝(あらき かんぼ、1831年(天保2)~1915年(大正4))
江戸出身。

8才の時に荒木寛快に入門しのち22歳で養子となる。
1872、ウィーン万国博に「菊花図」を出品、褒章を受賞。
明治20年皇居造営に際し杉戸絵を描きその後も多くの御用画に貢献する。
1900年、帝室技芸員を拝命。
画壇では日本美術協会の主軸作家として影響力を発揮し、
文展開設後も審査員として旧派の求心的存在となった。

主に、色彩花鳥図を得意とする。