田近竹邨

田近竹邨(たじか ちくそん、1864年(元治元)~1922年(大正11))
農後竹田の出身。本名は逸または岩彦。

初め、淵野桂僊に師事し、その後、京都に出て田能村直入に学ぶ。
南画を得意とし、文展において5回連続で褒章を受賞する。
明治大正を代表する南画家として活躍した。
直入等の呼びかけで設立された日本南画協会の幹事となる。
さらに後年に、小室翠雲、山田介堂らと日本南画院を設立し、同人として活躍。
明治期の京都画壇の南画界を担う作家として知られた。

文展での受賞歴も多く、池田桂仙、山田介堂とともに京都南画界の三元老と称された。

印名は「逸」 「田逸」 「田逸之印」 「田近逸印」 「竹田邨民」(「竹田村人」)
「田逸知印」 「無逸」(「无逸」) 「書竹生涯」 「竹邨」 「竹丈」 「竹史」 「水竹邨舎珍賞」
「心逸」 「成友此君」 「鳳来」 「世美人」 「白沙」 「一樂荘」(「一楽荘」) 「人生一樂」
「冗字因縁」 「陽春百雪」 「青士」 「詩酒陶情」 「淡白生涯」 「臣逸」 「管領風煙」
「大時青林翠竹」 「青垣洋書房」 「有林之居」 「有心大平」 「古士愚心」 「天心」 「田舎主人」
「竹田邨民」 「古之人古之人」 「煙雨楼」 「山中人」 「沙明竹翠」 「沙明竹翠邨舎主人」
「詩癖茶顚」(「詩癖茶顛」) など