森狙仙

森狙仙(もり そせん、1749年(寛延2)~1821年(文政4))
大阪出身。本名は守象。号は祖仙、如寒斎、霊明庵、霊庵

絵師森如閑斎の子として生まれる。
父のほか、大阪の山本如春斎に師事して画技を修得。
始めは、森如寒斎と号して、大阪の町絵師として活躍。
その後、円山応挙や沈南蘋の作品に私淑して、独自の写実様式を確立するようになる。
号を租仙と改め、晩年は狙仙と号した。

特に、動物画や猿画の名手として有名で、狙仙の描く猿の一尾一尾の表情や
毛並みの表現力は、当時の動物画画家の群を抜いており、在命時より高い評価を得る。
また、兄の森周峯の子で円山応挙の高弟でもあった、徹山を養子に迎え入れて
後年の一鳳、寛斎へと続く大阪森派の祖を築いた。

代表作「秋山遊猿図(東京国立博物館蔵)が重要美術品の認定を受けている。
※尚、出身地の一般的な説としては大阪となっているが古文献によると西宮(兵庫県)及び
長崎としている説もある。

印名は「杜守象」「祖仙」「守象」など