本阿弥光悦

本阿弥光悦(ほんあみ こうえつ、1558年(永禄元)~1638年(寛永14))
京都出身。本名は多賀。

代々、京都の刀の鑑定、研磨、拭いなどを家業とする本阿弥家8代本阿弥光二(7代光心の養嗣子)
の子として生まれる。家業に従事したが、その傍らで茶を古田織部に師事。
また、本業のほかに陶芸、蒔絵、書などに独自の芸術的センスを発揮。
陶芸では楽茶碗、漆芸では金をふんだんに用いた金蒔絵といった優雅な作風を示し、
書では近衛信尹、松花堂昭乗と共に寛永の三筆の一人として称されるなど本業よりも
芸術家として名が残っている。

そうした背景には光悦の天才的な才能もさることながら、家柄的な資金力があったためともいわれる。
1615年には徳川家康から、洛北鷹ヶ峰の土地を拝領し一族が移住、
現在は、本阿弥一族が法華宗徒であったため日蓮宗の光悦寺として残る。

代表作に「国宝・楽焼片身替茶碗:銘不二山」、「国宝・船橋蒔絵硯」、
「重文・鶴下絵和歌巻(光悦書、宗達下絵)」、「重文・鹿蒔絵笛筒」、
「重文・黒楽茶碗:銘雨雲」など

印名は「光悦」など