木村武山

木村武山 (きむらぶざん、明治9年(1876)~昭和17年(1942) 67才没)
茨城県笠間市箱田生まれ。父は旧笠間藩士。名は信太郎。

笠間の南画家桜井華陵に師事。その後上京し、東京美術学校で学ぶ。
卒業後は日本絵画協会に参加、日本美術院の創立にも副員として参加した。

美術院の五浦移転の際は、岡倉天心、横山大観、菱田春草、下村観山らとともに移住し、天心の没後に再興された美術院にも経営者同人として参加するなど、終生美術院を活動の場とした。

優れた技巧、色彩感覚を生かした壮麗な花鳥画、仏画を描く。
昭和12年脳溢血で倒れ、右手が不自由となり左手で制作、左武山の異名をとる。