川上不白

川上不白 (かわかみふはく、享保四年(1716)~文化四年(1807)91才没)
紀州(現在の和歌山県)新宮藩付家老水野家の家臣、川上五郎作の次男として生まれる。

16歳で京都へ茶の湯の修行に送られ、
表千家七世如心斎天然宗左(じょしんさいてんねんそうさ)の内弟子となる。

1750年、修業を終えた不白は、如心斎の「江戸に千家の茶を広めたい」という意を汲んで江戸に下り、
駿河台に茶室 黙雷庵、後年神田明神境内に蓮華庵、花月楼を建てて門戸を開き、
皇族・大名・旗本をはじめ、豪商、市井一般など多くの社中を集めた。

不白は、上方発祥の茶の湯に江戸の感性を取り入れ、新しい茶風を興しました。
その道統は、江戸千家として連綿と受け継がれています。