大塩平八郎

大塩平八郎(おおしお へいはちろう、1793年(寛政5)~1837年(天保8))
大坂出身。本名は後素

家塾洗心洞で門下を育成後、天保の飢饉により民衆救済活動(大塩の乱)を起こすが、
失敗し、40日間の逃亡、隠匿生活ののち自害する。
享年46歳。

尚、「洗心洞」は彼が自宅で開いた私塾名である。

印名は「源後素」 「大塩後素」 「大塩之印」 「浪華法曹」(「浪花法曹」) 「洗心洞主人」
「聖朝吏隠」 「慎独」 「洗心洞図書記」 など