塩川文麟

塩川 文麟(しおかわ ぶんりん、文化5年(1808)~明治10年(1877) 70才没)
幼名は隼人、字は子温もしくは士温、号は初めは雲章、後に文麟、別に可竹斎や泉声答斎や木仏老人など、通称は図書(ずしょ)。

四条派の岡本豊彦に師事する。安井門跡の御抱絵師となる。
如雲社を結成し、幸野楳嶺ら多くの門弟を育てる。
幕末に平安四名家の一人と称された。

画風は横長の画面にその特色を見ることが出来る。
文麟は智にたけた技巧派肌の画家であり、風景画が中心であったが、
花鳥画といい何でもこなし、画域が非常に広かった。