勝川春章

勝川春章(かつかわ しゅんしょう、1726年(享保11)~1793年(寛政4))
通称は要助

江戸中~後期にかけての浮世絵師。
出身地や出自は不明であるが、当時肉筆浮世絵師のなかでも屈指の存在であった宮川春水に
弟子入りして画を学ぶ。
はじめ画姓を宮川、または勝宮川などと称した。後に勝川と改称している。
他の浮世絵師と同様に、役者絵などを多く残しているが、当時の主流のひとつであった
鳥居派とは一線を画して、写実的でリアルさを追求した新たな画風を展開する。
その結果多くの大衆の支持を受け、一筆斎文調との合作「絵本舞台扇(明和7年)」で
その人気を確実なものとし、以降、多くの門下を育て上げて勝川派を形成する。
役者絵の勝川派として隆盛を極めた。

晩年は役者絵制作を門弟に任せて、自身は肉筆画に専念して緻密な美人画を多く残している。
また、葛飾北斎の師であるということでも知られている。

代表作に肉筆美人画三幅対「雪月花図」(重要文化財指定・MOA美術館蔵)など

印名は「縦意」 「造化画中」 など