亜欧堂田善

亜欧堂田善(永田善吉) (あんどう でんぜん、1748年(寛延元)~1882年(文政5))
磐木国(福島県出身)、本名は永田善吉、号は亜欧堂。

はじめ、谷文晁に日本画の画技を学び、後に洋画、特に当時としては大変珍しかった
銅版の制作を独自に習得して制作。
1798(寛政8)年には白川(福島県白河市)に移住し、城主松平定信の御用絵師として活躍。
既存の日本画を洋画風にアレンジ、また外国銅版画家の模索や研究にも努力し、
江戸風景などを写実的に描写する。
司馬江漢とは双璧をなす江戸時代の洋画家で後世の日本洋画文化に多大な影響を与えた。

印名は「田善」 「田善之印」 「竹應」 「亜欧堂」 「なかたせんきち」 「みちのくすかかは」 など