五姓田義松

五姓田義松 (ごせだよしまつ、安政2年(1855)~大正4年(1915) 60才没)
五姓田芳柳の次男、江戸生まれ。

1867年、ワーグマンに師事。幼少より神童、天才とうたわれる。
1872年、17歳で独立して画塾を開く。その後、父と川上冬崖の推薦により
陸軍士官学校の画学教師になる。
1876年、工部美術学校が設立され入学。
1877年、第1回内国勧業博覧会に出品、洋画部門グランプリの鳳紋賞を受賞。
明治天皇の肖像画のほか、御付画家として天皇の北陸・東海巡幸に同行する。
1880年、フランスへ渡る。レオン・ボナ(歴史画の大家)に師事。
1882年、日本人として初めて、フランスのサロンで入選。
1889年、帰国。明治美術会の創立に参加する。

美術王国フランスでの日本人初のサロン入選という偉業。
高橋由一と五姓田義松が、1880年までに獲得した写実と構図は、
すでに西洋油彩画に肩を並べるほどのものであったといわれている。

作品は「御物」として皇居に献上され、明治の宮廷画家ともいわれる。