丸木俊

丸木俊(まるき とし、1912年(大正11)~2000年(平成12))
北海道出身。本名は赤松俊子(旧姓)。女子美術専門学校卒

女子美術専門学校にて洋画を学ぶ。
卒業後は、小学校教諭を務めながら作品を制作し、二科展に出品。
またモスクワ、ミクロネシアなどに長期外遊し、スケッチ製作など研究に励む。
1941年に丸木位里と結婚。この頃より、夫と共に行動をするようになり、日本画に転向。
41年より46年まで美術文化協会展に出品。
戦後より、47年に日本美術会、前衛美術会と双方の結成に参加する。
また、女流画家協会展に48年第2会展より出品を続ける。

展覧会出品のほか、絵本の著作を多数出版し、71年に国際童画ビエンナーレにて
ゴールデンアップル賞を受賞。
当初の洋画作品についてはあまり知られていないが、戦後より夫と共に原爆シリーズを
長年にわたり製作し、日本アンデバンタン展、日本秀作美術展、現代日本美術展などの
国内公募展のほか、西ヨーロッパ、中国、アフリカ、アメリカ(各州)での巡回展を開催。
夫妻で人類の平和を訴求、1953年に国際平和文化賞金賞、95年エイボン女性大賞、
96年には夫位里と共に朝日賞を受賞。

作品は原爆シリーズのほか沖縄問題、南京大虐殺、水俣病などをモチーフに制作。
絵本でも「ヒロシマのピカ」などが有名。
尚、結婚後もしばらくは旧姓の赤松俊子として作品を制作しており、1956年より丸木俊としている。

印名は「俊印」など