中山高陽

中山高陽(なかやま こうよう、1717年(享保2)~1780年(安永9))
土佐(高知県)出身。本名は姓は源。通称は清右衛門

土佐の富商阿波屋勝久の次男として生まれる。
はじめ佐川深尾家の儒者、富永惟安に儒学と詩を学ぶ。
後に細井広沢の書を傾倒するようになり、広沢門下の関鳳岡に師事。
1758(宝暦8)年には江戸に出て井上金峨、澤田東江ら当時の文人らと交友、共作を多く遺し
なかでも高陽の画に金峨の賛、東江の書したものを三絶と称され人気を博した。

「蘭亭曲水図巻」にて重美に指定。

印名は「子和」 「字子和」 「象光」 「鶴汀」 「上和下睦」 「高陽酒徒」 「号和氏」
「國香斎書画印」(「国香書画印」) 「來禽」(「来禽」) 「松石斎」 「延沖」 「源鱗」
「守静篤」 「顧文桓印」 「仲廷沖印」 「廷沖子知」 「庭中」 など