十二代 弘入

(1857年~1932年)

慶入の長男
1871年、十二代吉左衞門を襲名
1919年、剃髪隠居して弘入と号す

15歳で家督を継ぎ、幕末明治の激動の時代において父、慶入と共に奮闘の日々を重ねる
丸みをもった温和な造形、独特の装飾的な篦使いが特長
また赤樂茶碗の色調は変化に富み、軽やかな赤色

十一代 慶入

(1817年~1902年)

旦入の娘、妙國の婿養子
1845年、十一代吉左衞門を襲名
1871年、剃髪隠居して慶入と号す

文明開化の激動の時代の中、伝統文化の廃れゆく逆境の中で75年におよぶ長い作陶生活を送り、
茶碗以外にも茶器類また置物など歴代の中で最も多様な作域を示した

五代 宗入

(1664年~1716年)

一入の娘、妙通の婿養子
1691年、五代吉左衞門を襲名
1708年、剃髪隠居して宗入と号す

光琳、乾山が琳派と呼ばれる豪華で装飾的な様式美を完成させた元禄時代において、
宗入は装飾性を排した長次郎茶碗の追求に自らの創作の基盤を求め、独自の作風を追い求めた

四代 一入

(1640年~1696年)

三代道入の長男
道入の影響を受けた大らかな初期から、長次郎の伝統に根差す、侘を重んじる晩年へと作風の変化が見られる
黒釉に朱色の釉が混ざりあう「朱釉」(しゅぐすり)を完成させ、後世に大きな影響を残す