四代 勘兵衛

(1750年(寛延3)~1839年(天保10))

4代 大樋長左衛門

三代長左衛門の三男として生まれ、家業を受け継いでいる。
歴代の中でも屈指の名工と称される。
伝統的な大樋焼飴釉作品のほか黒飴、白釉薬を用いた楽焼などの技法を研究して
新たな大樋焼の作風を生み出しており、茶陶のほか彫塑的な置物類にも秀でた作品を残している。
1816年66歳のときに退隠して土庵と号している。

陶印は丸印/角印「大樋」 草書印「樋長」 など

初代 長左衛門

初代 長左衛門(ちょうざえもん、1629年(寛永6)~1712年(正徳2))
大坂出身。本名は土師(本姓)、長二

初代 大樋長左衛門

元は河内国土師に住む土師姓の出自といわれている。
1656年に京都に出て、楽家一入に楽焼の製法を学び、二条川原町付近に居を構えていた。
その為、当時にその近辺で楽の脇窯を焼いた押小路焼にも、なんらかの関係が有ったのではと
推測されている。
66年に加賀藩の茶頭を務めていた裏千家4代の仙叟宗室の推挙で、加賀前田家に仕える。
藩主の前田綱紀より、金沢東郊の大樋村に住居を賜ったので、そのまま大樋を姓とした。

初代の作品の現存は少ないが、現存する茶碗作品を見てみると雅味に欠け、
平凡な作域の物が残るが、それが元々の作陶技術が巧みでなかったのか、
仙叟の好みによる物なのかの判別には議論が分かれている。
彫塑的な置物の作風をみると有る程度の巧妙な技量を見る事が出来るため
仙叟の好みによる部分が大きいと推測される。
また、大樋焼は初代の頃より飴釉を基本に焼かせているが、これは前田家が京の楽家と千家との間柄を
考慮して黒楽、赤楽の物は極力控え、異なる作風を求めた為とされる
(数は少ないが黒楽茶碗を残している)。
また、茶碗に在印の物も稀にあるといわれるがほとんどが無印。

陶印は「大樋長」 など