中野蒼穹

中野蒼穹(なかの そうきゅう、1925年(大正14)~1981年(昭和56))
福島県出身。本名は中野二郎。

中村岳陵に師事して、当初は院展にて出品していたが、
師の日展転向に際して、同じく日展に出品するようになる。
1960年に日展特選・白寿賞。
64年に菊花賞を受賞。

画風は、風景、花鳥を得意とした。

印名は「蒼穹」 「蒼」 など

中尾相阿彌

中尾相阿彌(相阿弥) (なかお そうあみ、1459年(長禄3)~1525年(大永5))
芸阿弥の子。

室町幕府足利義政将軍の唐物奉行として仕えた。
連歌、生け花、水墨画、茶、など多彩な才を発揮し、また書画、茶道具の鑑定なども手がける。
中でも書画を得意とし、中国の書風を独自に研究、狩野派へとつなげた。

祖父能阿弥、父芸阿弥と三代を総称して「三阿弥」という。

印名は「鑒岳」「道友」「李碩」「眞相」(「真相」)「海翁」など

中尾能阿彌

中尾能阿彌(能阿弥)(なかお のうあみ、1396年(応永3)~1471年(文明3))
本名は眞能(真能)(さねよし)

始めは越前朝倉氏に仕えていたが、後に、足利義政に仕えて能阿弥と称して、
同朋衆の一人に数えられる。
絵画制作、書画の鑑定・保存、表装、座敷飾りの指導、連歌、香道など幕府の芸能全般にわたり
活躍を示し、特に画では牧谿に深く傾倒し水墨画を多く残して後に阿弥派と称される一家を形成。
また、連歌師としても北野連歌会所奉行となるなどした。

伝能阿弥筆とした水墨画は数多く残るが、確証のあるもので残る物は
「白衣観音図」、「花鳥図屏風」、「蓮図」などで数は少ない。
能阿弥の子に芸阿弥、孫に相阿弥がおりいずれも将軍家に仕えている。
一説には1396(応永3)~1494(明応3)

印名は「眞能」(「真能」)「能」など

中尾藝阿彌

中尾藝阿彌(芸阿弥) (なかお げいあみ、1431年(永享3)~1485年(文明17))
本名は(法名)眞藝(眞芸・真芸)、通称は芸阿弥画家

足利将軍家に仕えた能阿弥の子として生まれる。
家業を継いで、父と同じく同朋衆として画庫の管理や文化顧問を勤める傍ら、
自らも画を描き能阿弥風に中国宋・元画の湿潤な趣をいれて独自の画法を確立。
相阿弥の父、賢江祥啓の師としても知られている。

代表作に「観瀑図」ほか。

印名は「學叟」(「学叟」)「四甲叟」など

中野嘉之

中野嘉之(なかの よしゆき、1946年(昭和21)~(現在))
京都府出身。多摩美術大学卒、同大学院終了

大学在学中の1967年に、新制作協会展に初入選。
72年、新制作協会春季展春季賞、同年、新制作協会新作家賞と受賞する。
75年以降は、新制作協会からの新団体創画会に出品し、
同年、第一回創画会春季展にて春季賞を受賞。
創画会展の出品のほかは、個展、グループ展、「横の会」、各種展覧会に出品。
80年、第2回東京セントラル美術館日本画大賞展佳作賞、92年MOA1岡田茂吉賞、
94年京都美術文化賞と数々の受賞を重ねる。
2005年、芸術選奨文部大臣賞を受賞し、日本画家としての確固な地位を築いている。

趣味のバードウォチングを生かした、鳥を題材にした作品や風景画を多く制作し
観察力と鋭い描写力により、自然の生動を表現。
近年は、水墨画や裸婦といった新たなイメージも展開する。

印名は「嘉之」「嘉之印」など

中山高陽

中山高陽(なかやま こうよう、1717年(享保2)~1780年(安永9))
土佐(高知県)出身。本名は姓は源。通称は清右衛門

土佐の富商阿波屋勝久の次男として生まれる。
はじめ佐川深尾家の儒者、富永惟安に儒学と詩を学ぶ。
後に細井広沢の書を傾倒するようになり、広沢門下の関鳳岡に師事。
1758(宝暦8)年には江戸に出て井上金峨、澤田東江ら当時の文人らと交友、共作を多く遺し
なかでも高陽の画に金峨の賛、東江の書したものを三絶と称され人気を博した。

「蘭亭曲水図巻」にて重美に指定。

印名は「子和」 「字子和」 「象光」 「鶴汀」 「上和下睦」 「高陽酒徒」 「号和氏」
「國香斎書画印」(「国香書画印」) 「來禽」(「来禽」) 「松石斎」 「延沖」 「源鱗」
「守静篤」 「顧文桓印」 「仲廷沖印」 「廷沖子知」 「庭中」 など

奈良美智

奈良 美智(なら よしとも、1959年12月5日 – )
青森県立弘前高等学校卒業まで弘前市で育つ。

武蔵野美術大学を1年で中退。1985年、愛知県立芸術大学美術学部卒、1987年、同大大学院修了。
美術系予備校教員を経て渡独。

1988年、ドイツ国立デュッセルドルフ芸術アカデミー(Kunstakademie Düsseldorf)に入学。
A.R.ペンク(A. R. Penck)に師事。
1993年、マイスターシュウラー取得。
ケルン近郊のアトリエを拠点に作品を制作、欧米を中心に国際的に注目される。

1995年、名古屋市芸術奨励賞受賞。
1998年、カリフォルニア大学ロサンゼルス校客員教授を村上隆と3か月間務める。
2000年、ドイツから帰国、東京に居住。
2005年、栃木県在住。2006年度武蔵野美術大学客員教授。

日本の現代美術の第二世代を代表するひとりで、世界的に評価されているポップアート作家。
ニューヨーク近代美術館(MoMA)やロサンゼルス現代美術館に作品が所蔵される。

西内利夫

西内利夫(にしうち としお、1933年(昭和8)~1981年(昭和56))
京都府出身。日吉ヶ丘高校日本画科卒

日吉ヶ丘高校を卒業後は晨鳥社に入塾。
山口華楊の指導を受ける。
以降、晨鳥社社展及び日展・新日展、京都市美術展などに出品する。
日展入選のほか、1956年、第8回京展にて市長賞を受賞。
また1967年より、アメリカ・メキシコに留学する。
1974年より毎年中国に取材旅行。

岩絵の具を用いた雄大な山岳風景などに、秀作を残したが48歳で急逝。

落款名は「利」

西川祐信

西川祐信(にしかわ すけのぶ、1671年(寛文11)~1751年(寛政3))
京都出身。

加納永納・土佐光祐に師事する。
西川派の祖。初め狩野派や土佐派の書法を学んだが、菱川師宣や鳥井清信などの
江戸浮世絵師の影響を受け、浮世絵師として一家を成す。
又、作品の多くは「西川絵本」と称され、京・江戸の東西で評価を得た。
門下には、梨木祐為、川枝豊信、川嶋重信、井上景椹、寺井重房、高木貞武、下川辺拾水がいる。

代表作に「絵本百人女郎品定」

印名は「西川」 「西川氏」 「祐信」 「祐信圖印」 「文華堂」 「西川圖印」 など

西沢笛畝

西沢笛畝(にしざわ てきほ、1889年(明治22)~1965年(昭和40))
東京出身。本名は石川昴一。号は笛畝、比奈舎、木槿庵(木槿盦)、雙来居

荒木寛畝・荒木十畝に画技を学ぶ。
大正4年、第9回文展に「八哥鳥の群れ」が初入選する。
以後文展・帝展に出品を続ける。
昭和4年第10回帝展で無鑑査、9年第15回帝展では審査員をつとめる。
荒木十畝・池上秀畝亡き後、読画会の代表理事をつとめ、伝統の花鳥画を守った人。
また、日本画院の結成に参加する。

人形研究家としても知られ、市松人形の図など人形を題材にした作品も多く残し、
「日本郷土玩具辞典」なども著している。

印名は「木槿庵」 「木槿盦」 「雙来居」 「木槿庵主人」 「蘇」 「比奈舎」 「ひなしや」
「笛畝」 「子明氏」 など
日本工芸会初代会長。