高島野十郎

高島野十郎(たかしま やじゅうろう、1890年(明治23)~1975年(昭和50))
福岡県三井郡(現久留米市)出身。本名は高島弥寿。号は野十郎

裕福な造酒屋の四男として生まれる。
兄の高島宇朗(詩人)と親交の厚かった青木繁(洋画家)の影響で、画家になること志す。
東京美術学校への進学を希望したが、父の反対により東京帝国大学(現東大)農学部に進学。
成績優秀で主席での卒業となるほどであったが、画家の夢を捨てきれずにいた。
以降は独学にて画技を修得。

1919年頃より、単独パリに留学し、4年間の滞在により更なる西洋画の研鑽を深める。
帰国後は東京や千葉にアトリエを構える。

しばしば個展などにて発表するが、全く画壇や名誉、金銭にとらわれずに貧困ながらも
悠々自適に製作を続け、作品では力量や技術はもちろんだが、気の合った知人にのみ
販売または贈呈していた為、現存作品は極めて少ない。

写実の追及に生涯を賭け、日本国内を写生旅行に巡る日々であったという。

サインは「Y.Takashima」など

鑑定人・鑑定機関

日本洋画商協同組合鑑定登録委員会
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TEL:03-3571-3402
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