萬鉄五郎

(よろず てつごろう、萬 鐵五郎、明治18年(1885)11月17日~昭和2年(1927)5月1日 41才没)
岩手県和賀郡東和町(現・花巻市)の商家(回送問屋「八丁」)に生まれる。

1906年、渡米。
1907年、東京美術学校西洋画科(現・東京藝術大学)に入学。
1912年、東京美術学校の卒業制作として、《裸体美人》を提出。
この頃の作品は後期印象派やフォーヴィスムの影響が強い。
同年、 岸田劉生や高村光太郎らの結成したフュウザン会に参加。
1917年、二科展にキュビスム的作品「もたれて立つ人」を出品。

日本洋画界に、フォーヴィスムを導入した先駆者としての功績は大きい。
晩年は日本画の制作や南画の研究も行った。

岩手県花巻市に萬鉄五郎記念美術館がある。

鑑定人・鑑定機関

日本洋画商協同組合鑑定登録委員会
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