芥川龍之介

芥川 龍之介(あくたがわ りゅうのすけ、明治25年(1892)3月1日~昭和2年(1927)7月24日 36才没)
東京市京橋区入船町に生まれる。号は澄江堂主人、俳号は我鬼を用いた。

叔父の芥川道章の養子となり芥川姓を名乗る。
旧家の士族芥川家は江戸時代、代々徳川家に仕え雑用、茶の湯を担当したお数寄屋坊主の家である。
家中が芸術・演芸を愛好し江戸の文人的趣味が残っていた。

第一高等学校第一部乙類に入学。
中学の成績優秀者は無試験入学が許可される制度が施行され、龍之介はその選に入る。
1913年、東京帝国大学文科大学英文学科へ進学。
当時、同学科は一学年数人のみしか合格者を出さない難関であった。

1914年、東京帝国大学文学部英文学科在学中、菊池寛、久米正雄らとともに
同人誌『新思潮』(第三次)を刊行し、そこに処女小説「老年」を発表した。作家活動を始める。
1915年、10月、代表作の「羅生門」を「芥川龍之介」名義で『帝国文学』に発表する。
鈴木三重吉の紹介で夏目漱石門下に入る。
1916年、第4次『新思潮』を発刊。その創刊号に掲載した「鼻」が漱石に絶賛される。
東京帝国大学文科大学英文学科を卒業。卒論は「ウィリアム・モリス研究」。

短編小説を書き、多くの傑作を残した。
初期は、歴史物やキリシタン物が有名である。「羅生門」「鼻」「芋粥」
中期は、芸術至上主義的な面が全面に出た。「地獄変」
晩年は、自分のこれまでの人生を見直したり、生死に関する作品が多く見られる。「河童」
初期より晩年の方を高く評価する見解も示されている。