渡辺崋山

渡辺 崋山(わたなべ かざん、寛政5年(1793年)9月16日~天保12年(1841年)10月11日、49才没)
江戸麹町田原藩上屋敷に生まれる。

1805年、鷹見星皐に入門し、儒学を学ぶ。
1806年、若君元吉(後の康和)のお伽役になる。
1808年、絵師白川芝山に入門する。星皐より華山の号を受ける。
藩主康友に従って田原に滞在する。
1809年、金子金陵に絵を学ぶ。金陵の紹介により谷文晁に絵を学ぶ。
師の文晁に倣って南画をはじめ、様々な系統の画派を広く吸収した。
文晁は、画技のみならず文人画家としての手本となった。
1814年、絵事甲乙会を結成し、画名世に知られる。
1826年、江戸宿舎にてオランダ使節ビュルゲルと対談。この頃から画号「華山」を「崋山」と改める。

代表作としては、「鷹見泉石像」・「佐藤一斎像」・「市河米庵像」などが知られる。
弟子に椿椿山・福田半香などが育った。
学問にも励み、鷹見星皐、後に松崎慊堂から儒学(朱子学)を学び、
昌平坂学問所に通い佐藤一斎からも学んでいる。また、佐藤信淵からは農学を学んだ。