津田信夫

津田信夫(つだ しのぶ、1875年(明治8)~1946(昭和21))
千葉の元佐倉藩藩医の家に生まれる。号は大寿(大壽)

1895年、上京して東京美術学校にて鋳金を学ぶ。
卒業後は同校の助教授(後に教授)を勤める傍らで東京美術学校が制作依頼を受けていた、
公共施設の近代的な鋳金を手掛けていた。
1923年、イタリア、イギリス、ギリシャ、フランス、ドイツなどヨーロッパ各国に留学し西洋彫刻を習得、
帰国後は1925年にパリ万国博覧会にて日本代表審査員を務めるなど
金属工芸の近代化を推し進めた一人として高い評価を受けた。

サインは「大壽」など