宮川香山

宮川香山(みやがわ こうざん、1842年(天保13)~1916年(大正5))
京都の宮川長造の四男として生まれる。本名は、寅之助。通称、真葛香山

当初、父の後は兄の長平が継いでいたが早逝したために19歳の頃に兄の家族を引き取って家督を襲名。
1868年、父の後を継いで虫明窯の陶技指導に岡山に赴いている。
1871年、陶磁器の海外輸出を目指し横浜に開窯(以降横浜焼、横浜真葛焼などと称される)。
色絵磁器、薩摩封錦手、青磁、染付、釉下彩など色絵付けと立体造形力に秀でた作品を展開。
1873年、ウィーン万博で名誉金牌、89年のパリ万博金賞をはじめ国内外の展覧会で活躍を示し
世界に「マクズ・ウエア」として賞賛された。また、96年には帝室技芸員を拝命している。

作品には上記の華やかで科学的釉薬を駆使した海外向け作品のほか
陶器、磁器を問わず茶器などの茶陶や盆栽鉢などにも秀作が残り製作範囲の幅は広い。

印譜は下記のほか多種。
「虫明」印は、虫明に技術指導に行った作品のみに使用され小判型「真葛」印と2種同時に押されている。
現在のところ贋物も比較的少ないが、作行によって価格に大きな差がある。