伊達政宗

(だて まさむね、永禄10年(1567年9月5日)~寛永13年(1636年6月27日) 70才没)
出羽国(羽州)と陸奥国(奥州)の戦国大名。陸奥仙台藩の初代藩主。
出羽米沢の米沢城に生まれる。1571年、疱瘡(天然痘)に罹り右目を失明する。

1572年、臨済宗の虎哉宗乙(こさいそういつ)禅師による厳しい教育が始められ、仏教や漢学を学ぶ。
1575年、神職の子である片倉景綱が守り役を命ぜられ側近となる。
1584年、18歳で家督を相続し、伊達家17代を継承する。
政宗は秀吉と鋭く対立した。
1593年、朝鮮出兵時に政宗が伊達家の部隊にあつらえさせた戦装束は非常に絢爛豪華なもので、
上洛の道中において盛んに巷間の噂となった。「伊達者(だてもの)」という言葉ができた。

墓所は、仙台市青葉区霊屋下の瑞鳳殿(ずいほうでん)。1931年に国宝に指定された。
政宗は、派手で知られたため、後に独眼竜と呼ばれる。