伊東久重

伊東久重(いとう ひさしげ)

江戸期からなる京都の人形師。
はじめは、枡屋庄五郎を名乗る薬種商であったが、享保年間(1716~36)の頃、
当時の当主庄五郎が人形制作に秀でていた事から、家業を人形師に転向。
初代庄五郎は、祇園祭長刀鉾の守護神「和泉小次郎親衛」や、病除け人形の「草刈童子」を制作した事で
評判となり、遂には時の帝であった後桜町天皇にも聞き及んで、1767年に御所に呼ばれて以降、
朝廷に仕える人形師として「有職御人形師伊東久重」の名を拝領。
また、入神の作に限り捺すようにと、天皇家と同じ十六菊紋印を下賜されている。
以来、天皇家御用達の人形師として代々伊東久重の名と技巧を今日の十二代久重まで受け継がれている。

京都祇園祭の山鉾の一つである月鉾の稚児人形「兎麿」は、5代(5世)の代表作の一つでもある。